4,  年忌法要・行事

 

年忌法要は追善供養?・・・・・・・・・ 【法事の意味】

  法事といえば一周忌、三回忌とかの年忌法要(年回法要)を思い浮かべる方が多いことでしょう。

  年忌法要は、なくなって一年後に勤めるのが一周忌、2年後が三回忌、六年後が七回忌で、以後十三回忌、十七回忌、・・・・・と別表の通り勤められるのが一般的です。ただ二十五回忌のところは、二十三回忌と二十七回忌に勤める場合もあります。法要を勤める年のかぞえ方は、三回忌以降「A回忌は亡くなって(A-1)年後」と覚えておけばよいでしょう。

  ところで、この法事、亡き人を縁に勤められることから〝亡き人のため〟に勤めるものと思っている人がいます。「故人の 霊魂を慰めるためにお経を上げる」とか「法事を勤めることによってご先祖を安心させてあげる」といった認識の、いわゆる追善供養の意味合いです。

  しかし、これまでにも触れてきたように、亡き人は如来さまのお救いによって、すでにお浄土に参られているのです。したがって、亡き人のために善をふり向ける(追善)必要もなければ、またそんなことができる〝りっぱな〟私でもないでしょう。

  法事というのは「仏法の行事」ということで、この仏法は、ほかでもない〝私自身のため〟のものです。すなわち、法事の場に参集した家族、縁者の一人ひとりが仏法を自分のこととして聞き味わってこそ、意義あるものとなるのです。亡き人を偲びつつ、この私が仏法を聞く行事―これが法事です。

  お浄土に生まれ仏となられた故人を偲ぶ時、故人は「いつでもどこでも、どんなことがあっても、けっして裏切られることのない如来さまを信じて、手を合わす人生を送ってくれ。そして私のいるお浄土に生まれてきてくれ」 と、そう願われていることでしょう。その願いを聞けば、亡き人が私のために仏縁を結んで下さり、深めさせて下さるのが法事であったと気づかされます。なお、法事は非日常的な行事ですが、これを縁に、仏法を日常の中に生かしていくことが大切です。

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僧侶任せにしていませんか?・・・・・【法事の進行】

 最近は、法事のお参りに行っても、施主をはじめ家族の方がたは、他の参拝者と一緒にちょこんと座って、式の準備や進行を僧侶任せにしているケースが増えてきました。

  たとえば、僧侶がロウソクに火をつけ、線香をくべ、そして「釈○○の△回忌法要を勤めさせていただきます。」とあいさつまで行ったり・・・。これではあまりにも受身一方で、主催者たる施主の態度とは申せません。

  法事というのはそもそも、仏法僧の三宝供養の心から行われるものなのです。つまり、如来さま(仏)とその教え(法)、それに教えを伝える人びと(僧)を心から敬い、如来さまへの報恩感謝の気持ちで営まれるわけです。したがって、親類や縁者を集めた上で僧侶を招き、報謝の心からみ教えを聞き慶んでこそ〝施主〟であり、当然、法事の準備進行には責任を持ってもらわなければなりません。

  それでは、具体的にどう進めればよいかを少し述べてみましょう。

 ①まず、お招きした僧侶のために、勤行の時にすわるお仏壇の座のほかに、休んでいただく控えの座を用意します(僧侶が到着したらそこへ座っていただく)。

  ②次に、時間前になったら、僧侶には、衣に着替えていただくよう案内し(着替えの部屋を用意するとていねいです)、自らはローソクに火をつけ、線香をくべ、焼香用の香炉に火たねを入れます 。もし〝回し焼香〟するのであれば、火だねを入れた香炉と香盒、それらをのせるお盆を用意しておきます。

  ③これらの準備が整えば、参拝者、続いて僧侶に所定の座(僧侶は控えの座)についてもらい、開式のあいさつをします。そして僧侶にお勤めをお願いするわけです。

  ④読経中の焼香は僧侶の指示に従い、手際よく行います。

  ⑤読経がすんでも、続いてご文章 の拝読や法話がありますので、気をゆるめず静かに聴聞いたしましょう。

  ⑥法話がすむと、味わいも含めて僧侶にお礼を述べ、法事は閉式となりますが、お斎(食事)が あれば、その旨を告げ、準備にかかります。お斎はできれば精進料理がよいでしょう。

  なお、法事のときは式章をかけて下さい。 

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「報恩講」はもっとも重要な法要 ・・・【報恩講法要】

  お寺の「報恩講」が 近づくと、月忌参りの折などに「○月○日に報恩講が勤まりますので、ぜひお参り下さい」と勧めているのですが、時たま「報恩講って何ですか?」と尋ねられ、ガックリとくることがあります。「報恩講を知らずして、何の門徒か!」内心思ったりもするのですが、そこは抑えて、報恩講がいかに大切な法要かを話します。移動が激しく、核家族の多い東京や大阪などの都会では、報恩講を知らないご門徒(?)が増えてきているようです。

  報恩講は、浄土真宗のみ教えを開いて私たちにお示し下さった宗祖親鸞聖人の、そのご苦労を偲んで営まれる一年でもっとも重要な法要です。

  私たちは、先祖の年忌法要には割合、気を配りますが、その先祖の方がたが心から慕われたのが親鸞聖人であり、また「聖人のみ教えを依り所に 人生を歩むように」と私たちに願われているのも先祖の方がたです。聖人のご恩を忘れるようでは、せっかくのご先祖の苦労も水泡に帰してしまいましょう。

  親鸞聖人のご恩に感謝し、聖人がお示し下さった如来さまのご本願を仰いで、お念仏申す人生を歩むのが門徒です。報恩講はそうした私たちにとって、何よりのご勝縁となる法要なのです。

  ところで、この報恩講は本山をはじめ、全国のお寺、一般家庭でも進められます。

  本山では、毎年、聖人の御正忌(1月十六日)にあわせて一月9日から16にちまでの七昼夜、勤められます。御正忌に勤まるところから「御正忌報恩講」と言い、「御七昼夜」とも呼んでいます。

  各お寺や家庭では、一般に、本山の法要に先立って、年内に勤めるならわしで、そのため「お取り越し」とか「お引き上げ」と言っています。

  これらの報恩講のお飾りは、もっともていねいに行い、法要後は、精進料理のお斎を出したりします。

  いずれにしても、努めて報恩講のご縁を持ち、お参りをしましょう。