2, 葬儀と中陰

 

"友引"は「友を引く」? ・・・・・・・・・【葬儀の日取り】

 「友引の日に葬儀を行わない」という風潮はかなり広まっているようで、友引に当たればその翌日に葬儀を延ばす方が多いようです。 なぜ避けるのかと言えば、友引は「友を引く」と書き、「その日に葬儀をすると、死者がこの世の人(友)を引っぱり、さらに死人が出る」というのだそうです。

  まったくたわいもない文字の連想であり、仏教的には何の因果関係もありません。しかも「友引」というのは、日の吉凶を占う「六曜」の一つなのですが、本来は「友引」ではなく「共引」であり、意味も「共に引き合って勝負なし」すなわち「良くも悪くもない」ということなのです。したがって気にする必要は一つもないわけです。

  それでもまだ、周囲の人たちの目を気遣って「皆が嫌がっていること(友引の日に葬儀を行う)を無理にしなくても・・・」と言われるかもしれません。

  が、これも一見、筋が通っているようで、心情的にもわからないでもありませんが、よく考えるとやはりおかしいと言えましょう。

  つまり、極端に言えば、たとえ間違っていると思っても「皆がするから自分もする」という理屈になります。すなわち、自らの意志判断の放棄であります。

  ですから、「友引」を気にする人がいれば、むしろ、気にする必要がないことを説き、安心させてあげるくらいの積極的な姿勢をもっていただきたいのです。それがお念仏に生きる真宗門徒の人生態度ではないでしょうか。何の根拠もないことに身を煩わせ、振り回されるのではなく、しっかりとした主体性をもって人生を歩む・・・その精神的基盤となるのが仏教であり、お念仏なのです。

  なお、葬儀の日取りについては、まず第一に導師を務めるご住職(手次ぎ寺)の都合を聞いてください。葬儀社と遺族が決めてしまってからお寺に連絡しても、お参りできないことがあります。そうでなくても、葬儀を執りしきるのは葬儀社ではなく、導師なのですから、ご住職に指示を仰ぐのが本筋です。

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満中陰が三月にわたるとダメ?・・・【中陰と迷信】

  死亡日から数えて七日目を初七日、次の七日目を二七日、以後三七日・・・というように、七日ごとに勤める法要を中陰法要と言い、最後の七七日(四十九日)は満中陰(中陰が満つる)として、特に丁重にお勤めするならわしになっています。

  もっとも、地域によって命日の前日(逮夜)から七日ごとに勤めるところもあり、日取りについてはお寺にお尋ねください。

 こうして勤める中陰法要は、けっして追善の、また冥福をいのるためのものではありません。肉親の死を目の当たりした悲しみの中から、故人の遺徳を偲ぶとともに、これを縁として"私" 人生の確かな依り所となって下さるお念仏の教えを聞き、阿弥陀如来さまへの報謝の念を深めるための仏事です。

  言いかえると、中陰法要の一回一回が"私"にとっての貴重な仏縁であるわけです。心して法要に臨み、ご住職の法話には特に耳を傾けていただきたいものです。

  ところが、この中陰にかんして「四十九日が三ヶ月にわたるといけない」という迷信が広くゆきわたっており、三ヶ月にわたる前に満中陰をすませる方が増えています。

  たとえば五七日に満中陰法要をしたり、場合によっては三十五日以前の日曜日に早ばやと すませたりします。考えてみれば、月の後半に亡くなると、四十九日が三ヶ月に わたることの方が多いくらいです。

  どうして「四十九日が三ヶ月 にわたるといけない」と思うのかと言えば「始終苦(四十九)が身につく(三月)」からだというのです。語呂合わせの迷信そのものでしょう。

  そういう語呂合わせを気にして日を変えるようでは、何のための法要かわからなくなってしまいます。決められた中陰の日でないと絶対にだめだとは申しませんが、迷信によって日を変更したり、振り回されたりはしないで下さい。せっかくの仏縁です。大切にしましょう。