1、お仏壇と荘厳

お仏壇は死者を祀るところ? ・・・・・【安置する意味】

  人口の流動化や核家族化などの社会情勢の変化によって、最近では、何世代にもわたって同じ家に住むことがめっきり減り、次々と新しい家が建ち、また引越しも頻繁に行われています。そうして移り住んだ家には、特に若い世代を中心に昔はどの家にも 必ずあったお仏壇が、安置されていないケースが増えてきました。

  「なぜ、お仏壇がないのですか」と尋ねてみると、けげんそうな顔で「まだ誰も死んでいませんから・・・」とか「仏壇は田舎にありますから ・・・」といった言葉が返ってきます。

  "誰も 死んでいない"とは、考えてみれば妙な話で"私"につながる数限りないご先祖の方が死んでいったはずです。

  それはさておき、こうした言葉の裏にはお仏壇が今生きている家族の誰かが死んで初めて必要になるものであり、ご先祖にし ても子孫の誰か一人(多くの場合、長男)が"面倒を見れば"事たれり、といった認識があるようです。さらに言えば、お仏壇は"死者や先祖をおまつりするためのもの"と思っているのです。

  しかし、はたしてそうでしょうか。お仏壇というのは、文字通り"仏さまをご安置する檀"のことです。仏さまとは、言うまでもなくご本尊である阿弥陀仏(如来)のこと。ちょっとしたことにこだわり、悩み、自己を見失いがちになる私をしっかりと抱きとめて、けっして崩れることのない安らぎを与えて下さる阿弥陀様です。お仏壇はそうした私の心の拠り所となり、家庭の精神的基盤となって下さる阿弥陀様をご安置するために設けるのです。

  いじめ、家庭崩壊など心の問題が山積している 昨今、家族そろって阿弥陀さまに手を合わせることが、どれほど心豊かな家庭生活につながるかわかりません。ですから「田舎にあるから・・・」とか「長男だけでよい」とか言わず、独立した家庭であれば、お仏壇を安置するようにして下さい。

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お仏壇にご先祖が入っている?・・・・・【先祖の捉え方】

  先 の項で「お仏壇は、ご本尊である阿弥陀仏をご安置するところで、先祖をおまつりするためのものではない」 というようなことを述べましたが、このことについて、ある門徒さんからこんな質問をうけました。

 
「これまで、お仏壇にはご先祖が入っておられるとばかり思い、ご先祖に感謝の念を込めて手を合わせていました。たしかに阿弥陀様も大事ですが、ご先祖も大切に思っています。お仏壇が"先祖をまつる所ではない"としたら、いったいご先祖はどこにおられるのですか?」と。

  先祖思いの門徒さんなのですが、どうも阿弥陀さまとご先祖を対立的に別々の存在として捉えてしまっているようです。

  「先祖をまつる所ではない」と言ったのは、ご先祖を実態的に捉え、例えば霊魂のようなものがお仏壇の中に入っていて、しかもその霊魂は生前の我執に基づく意思や感情を抱いたまま存在し、生きている者がそうしたご先祖の霊を畏敬し慰めるためにまつる・・・というのではないということです。そもそも、固定的な実態としての霊魂を否定するのが仏教なのです。

  それではご先祖はどうなったかというと、 阿弥陀さまの お浄土に還られ、阿弥陀さまと同じ仏さまになられたと味わうのです。

  お浄土は本来、色も形もない真実そのものの世界であり、我々のはからいを超えた世界でありますが、それを何とか形に表そうとしたのがお仏壇の造りだと言われています。

  したがってお仏壇では、ご先祖を拝むというよりは、ご先祖が還られたお浄土を偲び、ご先祖をお救い下さった阿弥陀如来のご本願のお心を味わわせていただくのです。

  さらに、ご先祖の願いを聞くと、何も「自分に手を合わせてくれ」とは思っておられないでしょう。むしろ「真実の親である如来さまのご本願を信じ、力強い人生を歩んでくれ」と願われています。そうしたご先祖の願いを聞き、阿弥陀さまに心から手を合わすことが、すなわちご先祖を敬い、感謝することになるのです。