住職のコラム(令和6年 春季彼岸会に寄せて ~大切なもの~ )

 皆様ようこそ善行寺 春季彼岸会にお参りいただきました。

 数十年前に京都の本山本願寺にて児童念仏奉仕団といって多くの子どもたちが本願寺にお参りになられました。その時に、当時の第二十四代即如門主が子どもたちに声をかけて下さいました。それは「今日はようこそ本願寺にお参り下さいました。さて、皆さんにとって人生で一番大切なものは何ですか?」 人生で一番大切なものは何ですか?と尋ねられたのです。続いて、中にはお母さんだと思っている人もいますね、お父さんだと思っている人もいますね。そして友達だと思っている人もいますね。あるいはお金だと思っている人もいますね。ところがそれらのものは全部なくなっていったり、別れていかなければなりません。皆さん、たった一度きりの人生です。本当に大切なものをこの人生の中で見つけるのです。これは人生をかけての宿題です。と声をかけて下さったそうです。もし皆さま方が少年時代にご門主様からそのような宿題を出されたとするならば、今までの人生の歩みの中で、その宿題の解決について、少しでも一歩でも、歩みを進めてこれたでしょうか。いかがでしょうか。

 私たちは、「南無阿弥陀仏」(阿弥陀さま)という仏さまと出遇わせていただきました。このお念仏は阿弥陀さまのお名前です。そして親鸞聖人が教えて下さったことは、南無阿弥陀仏は、仏さまからの喚び声です。我が身に宿って下さった阿弥陀さまそのもでありまして、阿弥陀さまがこの私の口を使って「ここにいるよ、ここにいるよ安心していいよ、あなたのいのちは引き受けましたよ」と、喚び声となって我が耳に響いて下さっている。南無阿弥陀仏は火に焼かれることもありません。水に流されていくこともありません。この身に宿ったからにはもう二度と私と離れることがない大切な存在として私のいのちを根底から支えて下さるそういうはたらきをになって下さる仏さまであります。この仏さまを親鸞聖人は「帰命無量壽如来 南無不可思議光如来」と私はこの仏さまを頼りに生きていきます。私はこの仏さまをよりどころに生きていきますと正信偈の冒頭に称えられております。このお念仏は皆さま方の中にすでに至り届いて下さっております。今日もお念仏の中に過ごさせて頂きましょう。ただただ、大切な宝物を私たちは頂いております。   合掌