住職のコラム(令和7年 永代経に寄せて  ~浄土真宗という教え~   )


 ようこそ永代経にお参り下さいました。

先人の皆さまが大切にされてきた浄土真宗の教えを今年も大切に有縁の皆さまと法要を勤められることに感謝申し上げます。

 

    浄土真宗の教えは狭い見方から、広く大きく、聞き開かれていく教えです。こう生きなさい、こうしなさいとはいわない。それが実はとても有難く尊いことなんだと思います。

このような話を以前聞いたことがあります。

グリム童話で「ロバと親子」というお話。

   あるロバをつれた親子の話があります。ロバを一頭はさんでお父さんと息子さんとで旅をしている。ロバが真ん中、お父さん。息子さんと歩いていた。 そうしたら目の前から人が歩いてきました。 その方がこう言います「もったいない、せっかくロバがいるのにそのロバを使わないのはもったいない、誰か乗せたらいいのに」と言ってくるんですよ。それもその通りだなと思ってお父さんが息子さんを抱きかかえてロバの上にのせました。そしてまた歩いて行くんです。

 

 するとまた前から人がやってきます。今度またこう言うんです。「息子だけがあのロバの上に乗って、父親を歩かせているなんてけしからん、親不幸な息子だ」と言うんです。気になってしまって、息子をおろして、今度はお父さんがロバに乗ったんですね。そしてまたとぼとぼと歩き出していくんです。また目の前に人が現れて言うんです。「あら、ひどいお父さんだね、息子を歩かせて、自分ばっかりロバにのって、ひどいお父さんだね」と言うんです。また気になってしまって、どうしようかと思うんです。お父さんは「息子も乗せよう」とロバの上に抱きかかえてのせたのです。二人してロバの上にのせてまた二人してパカパカと進んでいくんです。そしたらまた人が現れて、「ひどい親子だね、二人してロバの上に乗って、ロバが苦しそうで、つらそうで、ロバがかわいそうじゃないか」と言ってくるんです。やはり気になりまして、ロバから二人降りて、お父さんが前で、息子が後ろで、天秤棒で担ぐように、二人でロバを担いで歩き始めたと言う話があるんです。

 

 私の人生に引き寄せて味あうとまさに的を得た話だなと思いました。 色々なこと言われるとただでさえ気になってしまうんです。ましてやこうしなさい、ああしなさいと見方が固定された教えならばどうでしょうか。例えば人間が一番偉い、と言う教えを大事にしろと言われたら、二人して乗る。「年長者をうやまうと言う教えならお父さんが乗る」「子どもを大切にしなければいけないと言う教えならば子どもを乗せる」「動物を大事にしなければいけないという教えならばロバを大切にする」

 

 では阿弥陀さはすべて生きとし生きる者ものすべて尊い。もっと言うとロバも親子も阿弥陀様のみ手の中に抱きかかえられているのです、もちろん私も。なので、こうしなければいけない、ああしなければいけないと生き方を問われる教えではありません。疲れたらロバの背中に乗せてもらうのもいいし、親子で乗ってもいいし、ロバが疲れたら担いでもいいし、ロバをねぎらってもいいという見方、世界なんです。そんな見方・世界が開かれていく、先人の皆さまはご恩報謝の日暮らしとして大切にしてきたのが私たち浄土真宗といみ教えです。                                   合掌